訪れた場所そのものに思い入れがあります。

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 GoogleEarthの位置情報〔KMZファイル〕

【深夜のバーレーン国祭空港】
 南回りの欧州行き。 香港/ロンドン便の唯一の途中寄港地でした。 現在は飛行機の航続性能が良いので、単に性能面からいえばなにも中東に寄航する必要はありませんが、この便はバーレーン経由でした。 空港だけとはいえ私にとってはじめて見る中東の風景でした。 
 香港からここまでの機内ではフィリッピン人の出稼ぎ労働者が目立ちました。 ひところ日本に大挙してやってきたタレントさん、いわゆるフィリピーナの人たちとは違います。 全部男性。 その様子からみて主に土木作業員や工場労働者として中東にやってきたと推測されます。 日本は単純労働の外国人が入国することを厳しく制限しているので、姉妹や恋人たちは日本へ、そして兄弟や父親は中東へ。 こうした人々の大きな移動があったのでしょう。 国内にいてはわからない、もうひとつの一端を垣間見る思いでした。
 一方、ここから先ロンドンまでのフライトでは、フィリピーノと入れ替わりにスーツ姿の一団が乗り込んできました。 英国のビジネスマンとみられます。 独特の英語でそれとわかります。 背格好は米国人と変わりませんが、同じ言葉とは思えない英語を話し、立ち居振る舞いもヤンキーとは違いました。 紳士です。 こうした連中と一緒の機内で夜明けの欧州を目指して離陸しました。

 

【飛行ルート】
 南回り欧州行きの概略飛行経路です。 香港/バーレーン/ロンドンをどのような経路で飛んでいくのか、どのような街、場所の上を通っていくのか。 大いに興味がありました。 まずもって、香港を飛び立ってから北上したのが予想外でした。 貴州省、雲南省の上空で機首を西に向けます。 そしてミャンマー、バングラデシュの上空を横切ります。 インドにはいると、デリーの街明かりが真下に見えました。 パキスタン、イランを経てペルシャ湾を斜めに横断。 バーレーンへ。 
ここで給油と乗客の入れ替え。 さきの記事のとおりフィリピーノとジェントルマンがチェンジします。 アラビア半島を縦断してから北上。 イスラエル、ヨルダン、シリア上空を通過してトルコ東部で西に機首を振る。 トルコを縦断し、バルカン半島を横過、ヨーロッパ・アルプスを西に向かって縦断した後、フランスにさしかかったあたりで、ロンドンを向く。

 始点の中国と終点の英国をのぞいて、ざっと15ヶ国の上空を横切って飛行する形になります。 上空通過の手続きがそれぞれあるのでしょうが、通過する国々のことを想像するだけで一晩かかってしまいそうです。 そのうち一度は、と思っていた南回りの欧州行きです。 すべて夜間の飛行でしたが、機内のディスプレイを飽きずに眺めていました。

 

 

【チェックポイントチャーリー跡】
 分断都市ベルリンの名残り。 映画やニュースなどでときおりこの場所が映し出されました。 特徴的な姿をした監視のやぐらが残っていて、分断当時のなまなましい雰囲気が伝わってきます。 ベルリンの壁があったころ、やぐらの足元には堅牢で巨大な遮断機がありました。 踏み切りのような風景だと思えばほぼあたっています。 
 この写真は壁が崩壊してほぼ2年が経過した1991年の秋に撮影したものです。 くだんの壁はすっかり撤去されていたのですが、そこに壁があったといわんばかりの状態で更地が続いた箇所が目立ちました。 壊した壁の一部を(破片を)プラスチックのケースに入れてひとつ5マルクぐらいでみやげ物として売る露天もかなりあった時期です。 露天をやっているのはその多くが旧・東側の失業青年だったようです。 珍しがってひとつ買いもとめましたが、あのときの青年は私と年齢が近いようでした。 今どうしていることかとこの写真を見るたびに思います。 

 

 

 

 

 

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