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街中を縦横に往き来。 自動車、バスなど(4)

 ホテルの送迎リムジンから路線バスまで。 はたまた絶版になった珍品カーまで。 出くわした車にカメラを向けました。


路線バス (バチカン・サンピエトロ前)
被害現場となった路線バス ローマでスリの被害にあいました。 混雑するバスの車内でポケットから現金とクレジットカードを抜き取られました。 その現場がこのバスです。  この写真を撮ったときはまだ被害に気づいていなかったのです。 場所はバチカン。 カトリックの総本山、サン・ピエトロ大聖堂前のバス乗り場です。 ローマのテルミニ駅方面からひっきりなしにバスが到着します。 こうしてしばらく休止したのち、折り返し駅方面行きとなって出て行きます。 ちょっとしたターミナルの様相でした。  オレンジ色というのが一番近いんでしょうね。 この色。  これだけを見ますとけっこう派手な色使いに見えますが、由緒ある色だということがわかってきました。  まず、サンピエトロ大聖堂の衛兵のような人たちがいるのですが、このメンバーが着ているユニフォームにこの色が使われています。 実際にはこの色とブルーの縦じまです。 まるで清水エスパルスです。 なんでもミケランジェロがデザインした伝統のユニフォームなのだそうな。  もうひとつ、地中海の明るい太陽光線をふんだんに浴びるこの地域では、オレンジ色がよく似合う。 肌で感じる寒暖や湿度の感覚と、目で見る視覚というのは、人間の身体のどこかでつながっているのでしょうか。  思い起こせば、私の地元である伊豆のバス会社でも車体の色はこのオレンジがベースになっています。 共通するものがあるのでしょう。  そのような訳で、遺跡の目立つローマの街に不思議に調和する色であることに感心しました。 このあと被害に気づいてそれどころではなくなりましたが、、、、。  

 


路線バス (中国・北京)
古いバスの車内からです。 北京市の北西のはずれ、北京西駅の近くだったと記憶していますが、科学院に勤務する先生がお世話してくれた宿泊所付近のバス停が、私の北京観光の始点になりました。 そしてこのバスで街のあちらこちらに「通勤」しました。  北京市内を縦横にはしる路線バス車内からの一枚です。 さすがに北京は大都市なので、バスのほとんどは連結式の大きなものでした。 車体2台分が真ん中のジャバラでつながっているタイプです。 それが何台も連なって走るほどラッシュ時は運行されます。 すべて満員。   そんな混雑するバスで天安門や王府井などに出勤するのです。 観光客でありながらいきなり北京市民になった気分でしたね。  運賃はうんと安い。 故宮の裏側を通る路線は本数が多くてよく乗りましたが、その辺りまででも10円くらいでした。 終点まで乗っても15円が最高だったりします。 路線網はわかりませんが、北京市の端から端まででは途中1回の乗換えで行けるようです。 合わせて運賃は30円見当。 東京で地下鉄に乗って代々木上原から北千住まで、いくらくらいでしょうか。 300円くらいかかるのかなあ。 そのことを考えますと北京市の物価水準が想像つきます。  写真は、「私の始点」を発車してすぐのものです。 まだ幹線道路に出る前の風景ですから。 簡易舗装しか出来ていない田舎道のような風景でした。 しかし、このバスは始発のターミナルから既に満員で、私などは特別に前の口(本来は降車専用)から乗り込ませてもらったのです。  そのような、身動きもままならない混雑した車内でも、切符は買えました。 私の用意したお金を乗客がパスして車掌さんへ、切符とお釣りもパスでかえってくるのです。 みなそうしてやっているようです。 私だけの特別待遇ではないことがすぐわかりました。  こんな準・市民のスタイルで北京を見物できたことに今は感謝しています。 このあたりの風景はその後どんなふうに変わったろうか。

 


旧型・ボルガ(中国・上海)
古いアメリカ映画に出てきそうなスタイルです。 しかしこれは上海駅前のタクシー乗り場に駐車してあった、現役のタクシーです。 旧・ソ連製のボルガです。 それも旧式。  何年式という概念が共産圏の国にあるのかどうか知りませんが、相当古い。 たぶんフルシチョフの時代のものでしょう。 そんな言い方が案外的を得ていたりするんじゃないかと思います。  フルシチョフの頃の車だとして、その当時はソ連邦の方があらゆる面で米国を凌駕していた時期になります。 軍事面でも宇宙開発でも米国に先んじていたし、ジェット旅客機を就航させたのもソ連の方が先でした。 フルシチョフがロンドンを訪れたとき、最新鋭のツポレフ104ジェットでヒースローに乗りつけた。 米国はまだDC−7やロッキード・コンステレーションの時代です。  だから、このまま1960年ごろの米国にもって行ってもおかしくないような車があって当然なのです。 隣にプレスリーを立たせたって違和感がない。  実は、このとき列車で上海に着いたばかりで、市内までタクシーを物色していました。 こいつを見つけて、乗りたいと訴えたのですが、運転手が用事で留守ということで、写真だけで諦めました。  代わりに写真奥に国写っている空色の上海号(中国製の乗用車)のタクシーを利用しました。  それはそれで、ふるい日産セドリックのようで懐かしくもあり、乗り物好きにはこたえられない感激ものでした。

 

 

 

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