2004.3/19 宗教への思い入れ(3) イスラムの温度差

 私にとってイスラム教は、3大宗教のなかでもっとも馴染みがうすい。 実際に接したイスラムの人々としてはマレーシアでちょっとお目にかかった程度である。イスラムは、キリスト教とおなじく一神教である。 全知全能の神がキリスト教なら、イスラムでは唯一絶対の神“アルラー”なのだという。 全知全能は人がもちえない力だから、信仰・崇拝の対象になるのだろう。 しかし、唯一絶対となると単に崇拝の対象にとどまらず、人々の生活の細かなところまで、ひいては一国の政治や制度にまで多大の影響を及ぼしかねない。  事実、中東の一部の国では、イスラムの教えに基づいて政治を行うと決めているところもある。  それが民主的ならよいが、さまざまな形で人権を制限している。(平等の考えかた、女性の権利制限など)  まるで中世のような政治がまかりとおることになるだろう。  これを嫌って米国は口をだす。 石油の利権確保が中心にあるのだろうが、干渉する絶好の口実になっていることは間違いない。  多神教の仏教で相当に罰当たりな私などからみれば、これらの“熱心すぎる”イスラムには少々違和感を感じる。 唯一絶対は困るのだ。  報道を見るかぎり他教徒を敵視しているように思える。 最近のニュース報道を地図帳片手にながめていて気づいたのだが、どうやらこういう“熱心すぎる”イスラムの人たちはアラビア語を話す人たちとほぼ重なっているようだ。

 一方、旅先で私が接したマレーシアン・イスラムの人たちは穏やかである。  女性の社会進出もすすめられているようだし、外国人にまでイスラムのルールを押しつけることはなかった。  他の宗教を尊重する姿勢が浸透している。  モスク見物のとき脱帽せずに、逆に私の方が叱られるありさまである。 また、バンコックのワットプラケオのなかで寝そべって叱られたこともある。 だから私の場合はイスラムをないがしろにする気持ちもなく、それ以前の単なる信心の欠如というか罰当たり者に過ぎないのだ。 

 イスラム過激派とよばれる人々の一部にテロ活動をする連中がいるという。 しかし、イスラム・イコール・テロリストといった短絡した見方をしないよう気をつけなければと思う。 かつて日本赤軍という第一級のテロリストを出して世界中に迷惑をかけたこともあるのだから、心しないといけない。

余談:日本赤軍と浅間山荘事件の連合赤軍は、どちらも狂った連中であることにはかわりないが、どうやら役者が違うようだ。 失礼なたとえだとは思うが相撲でいう三役と平幕くらいの差はあったらしい。









2004.3/9 旅でおぼえたロシア語速読術

 RやNの裏っかえしなどが並ぶロシア語。 意味どころかどう読むのかさえわからない。 そういう国に一人で行って、二日でどうにか読み上げるに至った。 そういう裏ワザのようなものをあみだした。  そのイナバ式速読術をこれから紹介します。 お断りしておきますが、私はまったくロシア語を学んだことはありません。 したがって、これからの話は正しいロシア語とはまるで異なるものです。念のため。

 ロシアのあの文字は、キリル文字といってアルファベットではありません。 少し共通点があるだけ、そう考えておいたほうがよさそうです。 ロシアのほか東欧の一部や地中海沿岸の東部の一部地域で使われているようです。 はっきり英語のアルファベットと異なるところだけを紹介します。

 アルファベットの  BはБ、以下 CはS, DはД、 FはФ、 GはГ、 HはЖ、 IはИ、 LはЛ、 NはН、 PはП、 RはР、 SはС、 WはВ、 そしてya(ヤと発音する)はЯ、 これだけ暗記します。 その他はローマ字読みでほぼいいようです。 これを踏まえて私が実際に出くわした単語を拾ってみます。

 ПРАВДА〜PRAUDA〜プラウダ(新聞)、  МОСКВА〜MOSKWA〜モスクワ、  ЛЕНИН〜LENIN〜レーニン、  ФОТО〜FOTO〜フォト(写真)、  РЕСТРАН〜RESTRAN〜レストラン、  ПЕПСИ〜PEPSI〜ペプシ(飲み物)、  АЕРОФЛОТ〜AEROFLOT〜アエロフロート(国営航空)、  РОССИЯ〜ROSSIya〜ロシア、 そしてИНАБА〜INABA〜イナバ(私)  とこんなぐあいです。  この方式で声に出してみる、似たような英単語を必死でさがす。  運が良ければ意味も類推できます。  ともあれ、これで声にだして聞いてもらうと現地のひとにとっては “どうにか読めるじゃん” くらいのレベルには達している模様である。  人名や地名はほとんどこれでOKで、旅をする上で相当役立ちました。  お試しくださいといってもチャンスがなさすぎますが、必要に迫られると人間、結構なことができるものです。

 ところで、旅行中ロシア語を筆記体で手書きするところを何度も目撃しました。 英文を書くところを鏡で見たようで、目が回りました。 そういうところが 新潟から2時間 の距離にあります。









2004.3/5 旅行社とのつきあい

 以前、中国への個人入国を手配してくれる旅行社のことを話題に出した。その詳しいはなし。 ホントはどうだったのか知らないが、当時(昭和58か59年頃)の段階で、中国への旅行は増加しつつあったそうだが、あくまでも団体旅行の受け入れにとどまっていたという。 個人では入国の査証がおりないという。 どうやらこれは「在日中国大使館では受け付けない」というだけのことだったらしい。 ではどうやって個人で入国できるのか?

 香港で査証をとる段取りをするのだ。 香港から取り寄せた申請書類を出発前に作って現地の提携旅行社に送っておく。 本人たちが香港に到着したら直ちにパスポートを旅行社が預かり、その夜のうちに申請。 翌日、国境手前の事務所でヴィザのハンコが乾かない状態でパスポートをかえしてくれて、さっそく入国。 というあんばいだ。 その3年後には香港を経由せずにこれをやった。 申請書にパスポートを添えて国際書留で香港へ送り、ヴィザのハンコ入りのパスポートが返ってくるというからくりで、出発までに3週間かかった。 とにかくそういう手配をやってくれる旅行社が新宿にあった。 青梅街道沿いの雑居ビルワンフロアだけで営業する、 「秀・インターナショナルサービス」という会社である。 いまでもある、H.I.Sのことだ。  当時、社長の沢田さんがカウンターごしにチケットの説明など接客もやっていた。 その後もさまざまな注文を聞いてもらった。

 一緒した友人が 外国人から聞いて この旅行社に手配を頼むようになったという。 いまでは大手旅行社に成長し、なんと地元沼津にまで営業所をおいている。 昨年、国内旅行の手配を頼んだとき、会社のことを「ヒデ」といったところ、「ウチをヒデと呼ぶところをみると相当古いお客さんですね」と言われた。 ともあれ、今でもH.I.Sでは、「添乗員は同行しませんが現地で係員もお世話しません」というスタイルのリーズナブルなセッティングをしてくれる。 お客さんは海外の空港などでの搭乗をはじめ自分の手続きは自分でできるものときめてかかっているフシのある社風である。 そのかわり出発前にはふんだんな情報を提供してくれる。 そのテの旅行社がすべての顧客に満足を提供できるものではないかもしれないが、当時の私にとっては適度に世話をしてくれ、適度にほっぽらかしてくれる、付き合いやすい旅行社であった。 いまでも時々家族旅行の相談相手になってもらっている。









2004.3/4 新幹線の急行列車化

 定期的に新幹線を利用している。 三島からの利用なので当然“こだま”に乗車しているのだが、特急料金を払っていながら停車駅はかつての急行停車駅の様相である。 私は、新幹線以前の東海道線の様子を知る最後の世代にあたる。子供の頃、流行った歌に、“ボクは特急の機関手で・・・”というのがあった。 もしかしたらほんとはもっと古い歌かもしれないが・・・。 冒頭、“トウキョー、キョート、オーサカ”というあれである。 このとおりとしたら、今の“のぞみ”より停車駅が少ないことになり、横浜や名古屋の人には評判が悪かったろう。  新幹線ができ、東海道線から昼間の特急が姿を消したのが昭和39年。 このとき小学校1年生だった。  

 それまで走っていた特急“こだま”というのは、始発東京から横浜、熱海または沼津、静岡、浜松、豊橋、名古屋・・・・・こんな具合で大阪か神戸までを走破していた。  間違っても小田原、富士や掛川に停車することはなく、随分駅を飛ばすものだと思った。 新幹線のほうは、あとからできた駅もあるので、開業当初はいくらかマシであったろう。  ともあれ、今の“こだま”はよく停まる。 しかも“のぞみ”などの通過待ちで停車時間も長い。 さっきの歌の歌詞ではないが、“停まる駅ごとに彼女とキスする暇はたんとある”

 だからといって、不満なわけではない。 停車駅は増えても所要時間は開業のころとさほど変わらないのだ。 ダイヤ作成にあたっているJR関係者の努力に敬服する次第である。  もっとも、最近は乗り物の速さにあまり価値を感じなくなってきた。 それよりも乗り継ぎの便がいいとか 早朝や深夜でも結構走っているとか、座れないほどの混雑がないといったような、“輸送サービス”全般の質、そのよしあしに興味が向くようになった。 夢の超特急から、定期券で毎日乗る通勤電車にまで新幹線は身近な足になったと思う。 願わくば一時間に3〜4本はあるとより便利だと思うのだが・・・・・・・。









2004.2/27 ささやかな願い

 乗り物に関してひそかに自慢に思っていることがある。昭和37年頃のはずであるが、当時まだ開業前の新幹線に試乗したことがある。(開業は昭和39年) 鴨宮(神奈川県)に実験線があったのだが、父親が国鉄職員で職場が近かったこともあって、そのつてで試乗できることになった。弟も同行したのだが、本人は憶えていないと言う。3歳くらいだったはずだから無理もない。在来の特急用の車両に近いボディーだったらしく、気密が不十分。「耳がつまる」と訴えた記憶がある。 山梨でリニアモーターカーの実験走行が続いている。 ときおり試乗の募集があり、ほとんどの機会に応募している。 希望者が多いらしく、まだ試乗できずにいる。 自分の体験もあって、子供たちに是非試乗させたいと望んでいるがまだ実現できずにいる。 高度成長前夜のあの時期と違って、リニアのほうはまだ当分開業しないと思うので、慌てることはなにもないが、 うちの坊主たちに試乗はさせたいと、親としてささやかな願いを持っている。









2004.2/22 宗教への思い入れ(2) 片思いのヒンディー

 人間を生物の分類学的に正しく表現すると次のようになる。少し長いが辛抱。 動物“界”、脊椎動物“門”、哺乳“綱”、サル(霊長)“目”、サル(真猿類)“亜目”、ヒト“上科”、ヒト“科”、ヒト“族”、ヒト。 ホモ・サピエンスというのはこの最後のふたつにあたる。 ヒト族(homo)、ヒト(sapiens)で、最後のヒトというのがいわゆる“種”というわけである。 これは先日、博士課程の学生に教わったばかりで、にわか仕込みの知識である、念のため。 これだけでは人間ではないという人々が結構いる。その代表がインド人の大多数を占めるヒンディーたちである。初対面の挨拶では、信ずる宗教をたずねるのがあたり前とされている。 カルカッタを旅したときにも何度となく「あなたの宗教はなにか?」ときかれた。 私はあまり熱心でないどころが、かなり罰当たりな奴だが一応「私は仏教徒である」と応える。正確には七五三と正月は神道とも言うべきかもしれないが、誤解を受けても困るので仏教オンリーということにした。これで晴れて人間として認められる。

 ヒンディー(ヒンズー教)は、仏教とおなじく多神教である。仏教では死んだヒトは原則として全員ホトケ様になるわけで、神の数は過去に死んだ人数となる。 途方もない数字になるだろう。 ヒンディーの神々はそれほど多くはない。詳しくは知らないが、せいぜい何十人どまりのはずだ。 その神々のなかに“お釈迦様”も含まれているのだそうだ。 あまりメジャーな神様ではないが、とにかくもヒンディーの神のひとりを教祖としているのだから、君たち仏教徒は仲間である。そう言う人に何度か会った。 “そんなこと言われてもこっちは。。。”、“片思いされている” これが率直な印象である。 しかし、旅先で出会った人が仲間として接してくれることはなんとなく嬉しいものである。彼等にとって、イスラムは敵だし、キリスト教徒も他人だと思っている。仲間扱いの待遇とは大違いである。そういう人が7億人もいる、それがインドの一側面だと感じた。

 このような、おおらかな仲間意識はインドのほかにもあるようだ、カヌーイストで有名な野田知祐氏も著書のなかで、カナダエスキモーにとって日本人は“ニホンというところへ移住したエスキモー”だと思っていて、“エスキモー仲間として”遇してくれるという。 同じアジア人種であることは確かであるが。。。 しかし、これも片思いの気はあるわけで、エスキモーと親戚付き合いのできる日本人は植村直巳氏などあまり多くはないと思う。

 ヒンディーにもどる。 片思いであれなんであれ、とにかく親切にしてくれた。自分に出来ることは何でもしてくれる、教えてくれると言う。 しかし、知らないのに道案内をしてくれたときは、はっきり言ってありがた迷惑というもので、2時間のロスを強いられた。それほど気持ちは親切、フレンドリーな人たちであった。 この半分でいいから、となり(パキスタンとバングラデシュ)のイスラムと仲良くしてくれればいいのに、そう願ってやまない。









2004.2/19 まだアメリカに行っていない理由

 人並み以上に旅行に出かけたが、まだアメリカ合衆国には行ったことがない。10年ほど前に会社の旅行にくっついてグアムには行ったが、それをもってアメリカに行ったと称するのはおこがましいと思う。私がまだアメリカに行っていない理由は簡単で、“順番がこない”から。

私なりにひそかにきめている順番がある。それによると、アメリカは最後の方になる。 どういう順かというと。。。。 最初海外旅行に出かけたきっかけが、新車購入をとりやめたことにはじまる。新車が買えるお金があれば何度か海外旅行ができる、たまたま親しい友人がアジア好きで、一緒に出かけた先が中国。当時、個人での入国が出来ないとされていたが、これをセットできるという旅行社を見つけた。(この旅行社の話題は別の機会で・・・) 中国南部を中心に歩いた途中で折に触れ感じたのが東南アジアの各国とのつながり。中国南部は華僑の出身地である。興味を掻きたてられて、その後しばらくはアジアの巡り歩きに費やした。各国をまわって感じられたのが“旧・宗主国”の影と文化的なの影響であった。 こうしてヨーロッパへ足が向くことになった。お金がなく、時間の制約も考えてシベリア経由のアエロフロートの常連になる。ロシア人のスッチーに興味をひかれてソ連(当時)にも単独旅行。まだゴルバチョフ“書記長”の時期である。それぞれに歴史のある地域のことで、まだまだ行きたい場所がある。この調子ではアメリカはいつになるやら。多分大西洋を渡って東海岸のニューイングランド地方からになるだろう、ものの順からいえばそうなる。昨年、ロンドン-ニューヨーク間のコンコルド便が廃止になった。少し残念に思う。そして大陸を西へ・・・このような具合では生きているうちにハワイにだどりつけるだろうか?ハワイとなれば茨城県沖だから、ほぼ地球をひとまわりしたことになる。

 これとは別の理由もある。“日本国内にアメリカ的なものがあふれすぎていることへの反発”とでも言うような気分である。ヨーロッパで気づいたことがある。かの地で英語は数ある言語のひとつにすぎない。アメリカ的なるものを無批判に取り込むこともない、大人の国という印象なのだ。経済力、軍事力、文化面での影響力、あらゆる面でアメリカが世界をリードしつつあるが、価値観や判断基準までアメリカ一色になることを警戒する気持ちが、私の心の底を流れているからだ自分では分析している。









2004.2/10 旅費5円のオデッセイ

 冒険旅行=オデッセイ(1/22参照)のことでひとつ書きとめておきたいことがある。 冒険の内容はひとそれぞれの面がある。 “初めてのおつかい”というTV番組が好評のようだ。不安で涙を浮かべて歩く幼児たちにとって、おつかいは将にオデッセイと呼んでいいのだと思う。 私にも幼児期これに似た経験がある。昭和37年頃のはずであるが、当時幼稚園児であった私には、バスで通園する仲良しがいた。(名前はとうとう思い出せなくなった)  ある日、お昼の牛乳代のお釣り5円があったので、バスで彼の家へ遊びに行くことになったのだ。当時、子供同士で勝手にそんな約束や行動をとっていた。 またバス運賃は、市内循環で大人20円、小人10円、園児単独5円であった。往きは彼と一緒に楽しいバスの旅20分間でお邪魔した家で暗くなるまで遊んでしまった。 結局、夕ご飯までご馳走になったところで“帰りの5円”が必要なことに気づく。 彼のお母さんからその5円を貰って今度は単独のバス乗車となった。 循環バスなので往きとは別のルートなのだ。暗い窓に映る自分の顔をながめつつ、心細さと不安につつまれた20分。 TVのような涙を浮かべる余裕もない緊張だったのだろう。 どうにかいつも家の者と乗り降りするバス停で降りる。連絡がいっていたので母が迎えに立っていた。

 初めて海外ひとり旅に出たとき、成田を離れる機内でこの時の不安な気分を思い出した。二十数年のちのことである。自分の判断と責任においてすべてを決め、行動すること。一人旅では当たり前のことだが、私にとってその原点が幼児期に“決行”した旅費5円のオデッセイにあったと思う。









2004.2/03 宗教への思い入れ(1) きっかけ・カトリック

 私が旅の目的の第一に挙げるのが、異文化に接すること。心に伝わる衝撃を楽しむことにあります。古今東西、歴史のなかで文化の担い手の多くが宗教人であったことはよく知られています。 日本でも明治維新より前の時代においては僧侶(お坊さん)はインテリであり庶民はもとより武家からも尊敬を集め、文化の担い手でありつづけた。 国内旅行でも各地の観光スポットで社寺仏閣がその核なしている例が多い。 海外に出て、その国・地方の文化を知るうえで、どういう宗教が関わっているかを考え、実際に目の当たりにすることを楽しみにしている。 この点で東南アジアは面白い。

 タイ、ニャンマーの仏教。マレーシアのイスラム。インドのヒンディー。インドネシアはイスラムと独自のヒンディー。中国・韓国の道教や儒教。(儒教は哲学) そしてフィリッピンのローマカトリック。実に効率よく多様な宗教文化に触れることができます。 ひところフィリッピンに通ったことがある。近所の飲み屋で知り合ったフィリピーナを追いかけていっただけではないのです。 彼の国の文化に深く根ざしたカトリック文化に惹かれるからである。 一見して能天気でいいかげんそうな彼女らが言う、「休みの日にしたいことは、まずお祈りに行きたい」である。 近くのカトリック教会を教えてあげたものです。  マニラの下町、キアポやサンタクルーズ教会には近所の腕白小僧が自転車のまま祭壇の前まで乗りつけて、マリアに額づく姿を目撃している。(下町の教会は全館土間で、祭壇前をニワトリが歩いたりしている) 腕白どもはその後愛車を駆って遊びに行く。 スペイン統治の影響からであろう、ラテンの血をひいていることもあろう、万事いいかげんに見える彼等のなんと真面目な信心であろうか。 我々はどうか。最近は葬式さえお寺でやらなくなった。まめに行くのは初詣くらいだろうか。フィリッピンの人々の信心深さ、宗教と日常の距離の近さを見るにつけ、彼我の違いに思いを馳せる。 帰りの機内でこんなことを考える時間が好きである。

 カトリックで少し疲れたので、今回はここまで。その他はまた。









2004.1/31 納得のカルカッタ

 今はコルカタと呼ぶんだそうですね。そう、インドのカルカッタでのこと。 トイレ(大のほう)における事後処理の話題です。 この時点で嫌な方は飛ばしてください。 

 彼の国では用が済んだのち自分の手で水洗いするのがあたり前であることを多くの方がご存知です。 私が泊まった安ホテル(日本円で1泊600円くらいだったと記憶している)でも、当然のことながら”不完全な処置しかできなくて費用のかかる”トイレットペーパーなどは置いていません。 このトイレットについてもう少し説明しておきます。 広さはタタミ一畳分くらい、シャワールームを兼ねている。 床、壁ともに剥き出しのモルタル塗りで床にはなぜか和式とそっくりの便器が据えられ、壁には高い位置にシャワー、低い位置に普通の蛇口がある。 あとはポリバケツが大小各1個隅においてある。 便器に水洗の装置はなく下水管に直結しており、使用後はバケツ大に水を汲んで自分で流すという、セルフ水洗とでもいうようなタイプでした。 労力はかかるけれど清潔の度合いにおいて我が家のTOTOと変わらない。 まずここで納得である。 ”郷に入っては郷に従え”と心得ているので、私も事後処理をインディアンスタイルでやってみた次第である。 そのあと尻をふくものとしてあいにくフェイスタオルしか持っていなかったため、納得いくまでくり返し洗いました。 我ながら完璧に事後処理に成功したと思う。 パンツ、ズボンをはき、最後に自分の手をこれまた納得いくまで入念に洗ったことはいうまでもありません。 一度洗って爪を切り、再び洗うという念のいれようです。 インド滞在中、その都度これを励行するのですから手と尻の清潔度は常に納得状態で過ごすことができました。

 実はそれ以来、時々家でも実践しています。 とにかく納得できます。 いちどおためしあれ。

参考写真【旅の写真集】









2004.1/25 聞いたことあるでしょ

 飛行機に度々乗る方は聞いたことがあると思います。チェックインカウンターの奥や、機内ギャレーの中などから、「1のアルファ・ブラボー・チャーリー」 とか 「26・デルタ・エコーのご夫婦」なんてささやき。 前者なら「1A、1B,1C」、後者は「26D,26Eのご夫婦」のことで、座席の位置を言っている。航空関係や旅行関係の符牒です。  ひどい騒音や雑音だらけの無線のやりとりで聞き違いを防ぐために使われている。AからZまでみんなあります。 日本語で言えば、「名古屋の”な”」みたいなものでしょう。
 あまり正確ではありませんが、私が現場で聞いて知っている範囲では、、、、
A(アルファ)、B(ブラボー)、C(チャーリー)、D(デルタ)、E(エコーorイーグル)、F(フォックス)、G(ゴルフ)、H(ホテル)、I(インデイア)、J(ジュリエット)、K(キイロー)、L(リーマ)、M(マイク)、N(ノベンバー)、O(オスカー)、P(パパ)、Q(ケベック)、R(ロメオ)、S(シエラ)、T(タンゴ)、U(ユニフォーム)、V(ビクター)、W(ウィスキー)、X(エックスレイ)、Y(ヤンキーorイエロー)、Z(ズールorゼブラ)
 ってな具合です。 もっと正確で詳しいことをご存知の方がいたら教えてください。
 どうやら1のアルファ・ブラボー・チャーリーは、出発間際まで空けておくことが多いらしい。VIPへの対応や、余裕さえあれば飛行中に発生した急病人の世話のためなのでしょう。 これも詳しい情報をどなたか教えてちょ。  予約なしの状態にてカウンターで粘ってここへ乗せてもらったことが私もあります。 









2004.1/22 旅にもいろいろ

 たび・旅・旅行、これを英語に調べるといろいろな語彙がでてきます。トラベル、ツアー、トリップ、ジャーニー、オデッセイ。  本来それぞれに異なる意味があるのだろうが、おおむね次のような使い分けがあるようだ。   

トリップ というのは、移動の単位でもありA地点からB地点へのひとり片道の移動で、これが1トリップ。ふたりなら2トリップ、5人で往復すれば5×2=10トリップ、といったぐあい。つまり移動を量的に評価する尺度にすぎない。ことば本来の意味とは少々異なるだろうが、都市計画や交通地理の分野で使われるのだそうだ。目的などはどうでもよく、ひとの動きといだけ、これがトリップ。日々の通勤や配達、などもこれにふくまれる。

ジャーニー は行楽、観光のニュアンスが加わるのかな? よく海外の旅行社で小旅行の案内文にこの言葉がでてくる。ロンドン発の日帰り旅行「古城とパブめぐり」ってな案内に値段とともにジャーニータイム約6時間などと書いてある。行楽用品をジャーニーグッズなどと称する看板も見たことがある。(トラベルグッズとは違うのだろう、それとも英国流の表現か?)日帰りをはじめ、あまり長期間の旅行はないとみていいだろう。  最近、子供を連れて近場の行楽地へいくが、そういうイメージに近い。

ツアー には計画性がある。目的は観光、商用、事業(巡業など)さまざまであろうが、事前に回るルートと日程、利用する交通機関や宿泊場所が計画・手配され、基本的にそれにしたがって行動する。 期間は週間単位で結構長期のものもある。大勢で同一行程を移動する傾向も多い。

トラベル は、最も一般的な旅行の英訳といえよう。トラブルが語源という説まであり、途中でなにがあるかわからない。いきあたりばったりの要素が強い。片道の航空券だけ握って出掛けた、私が独身時代に歩きまわった旅行は、これにあたるのだろう。

オデッセイ というのは、冒険旅行とでも翻訳するのか地図のない旅である。ロビンソン・クルーソーやガリバー、大航海時代のマゼランがしたような命がけの旅行である。現代社会ではまずありえない旅のかたちといえる。強いていえば、かつてのリンドバーグや堀江健一青年のような通常無理と思われる手段でなしとげる旅がこれにあたるのだろう。和泉雅子さん(字が違っていたら失礼します)の北極が最近の例でしょうね。オートバイで大陸横断とか自転車で日本縦断なんてのも広い意味でオデッセイかな?そういう旅こそ一生の内に一度でいいからしてみたい気がする。